嗚呼、帰りたい

プログラミングのことから日常のことまで。いわゆるごった煮というものだな。

山に登る

蝶ヶ岳山頂からの光景

この記事はあくあたん工房 Advent Calendar 2020の14日目の記事です.遅刻して16日投稿になっていますが一応カレンダー上では2日連続で帰宅志願者がお送りします.何を書くかでとても迷ったのですが,最近大学の実験レポートやら課題やらでヘトヘトになっているところを癒やしを求めて出身高校の山岳部の山行にOBとしてついていったことから僕の趣味の「登山」のことについて書こうと思います.

いきなりですが「登山」というのは奇妙な行為です.交通機関を駆使して目的の山に赴いては,時には辛い思いをしながら延々と山道を何時間も登ったり降りたりして目的地を転々とし,最後に家に帰るわけです.私はどちらかといえば都市部の方に住んでいますから,山に行くだけでも数千円がかかりますし,そこから山に登るわけですから装備を整えたりして更にお金がかかります.誤解を招かないように先に述べておきますが,山に登る行為自体は特段おかしいものではありません.森林資源の獲得だったり都市間移動だったりあるいは宗教的な意味合いがあったりとそういった目的で古くから山に登る人はいます.しかしながらどうでしょう.登山,特に趣味や生き様としての「登山」というのは山に登るという行為自体を目的としています.ますます奇妙に思えてきませんか.どうして「登山」をするのか,人によって理由は多種多様ではありますが,この記事では僕の登山歴を振り返りつつ僕なりの理由付けをしてみようと思います.

僕が本格的に山に登り始めたのは高校一年生の頃です.高校受験を無事終えどの部活に入るかで悩んでいたとき,当時の山岳部公式Twitterアカウントから一枚の写真が流れてきたのをきっかけに山岳部に入部しました.山岳部のアカウントが途中で変わったために残念ながらその写真を探し出すことができなかったのですが,その写真は記憶に間違いがなければ立山で撮影されたもので,吸い込まれそうなほど青く透き通った空を突き刺さんとばかりに山々が堂々と佇んでいる光景が収まっており,思わず見とれてしまったことをよく覚えています.

山岳部は月一回の山行に参加すれば普段の活動に来なくてもOKという体制で運営されており,そんな山岳部のゆるい部分がだらしない僕の性格と適合したのかとても居心地が良い場所でした.登山というのは体力を使うものですから,月一回の山行に参加するだけで今後もついていけるのかという不安もありましたが,これが思いのほか慣れてしまうもので,体力を使うことに変わりはありませんが山に登るときのしんどさというものはどんどん消えていきました.

そうして山岳部として山に登り続けるようになったのですが,僕の中で登山が重要な立ち位置を占めるようになった決定的な出来事といえば一年生のときの山岳部の合宿です.一年生のときの合宿の行き先は上高地で,徳沢キャンプ場を幕営地としていました.合宿二日目となり,待ち望んでいたとにかく標高の高い山1である蝶ヶ岳に向けていよいよ出発したのはいいのですが,片道5kmで標高差1,100m2の山道で最初は似たような景色が延々と続くのでなかなかしんどく感じられました.

蝶ヶ岳に至る登山道.最初は新鮮に感じるがこの景色がずっと続く

絶景を期待していたばかりに似たような木々の風景が続くのに少しウンザリしながら登り続けていると,徐々に植生が低木に置き換わっていきます.

森林限界に至り突然視界が開ける

歩きながら「あの景色がいよいよこの目で見られる」と期待も頂点に達したとき,目の前に待ち望んでいたそれが現れました.

あの景色を僕はどのように言葉で表せばいいのか今でも分かりませんが,鮮明に思い出せるほどに僕の脳裏に焼き付いています.信じられないほど青い空.容赦なく照りつける太陽.透き通った冷涼な大気.四方を埋め尽くす巨大な山々.頭上ではなく眼下を流れる雲海.現地でしか味わうことのできないあの空気感.あの場所を去るのが惜しまれたのでせめて写真を取って記録に残そうと努力しましたが,どうやっても僕が目にしているあの光景を写真に収めることができません.しかしながら時間は残酷にも過ぎていき,興奮も冷めやらぬうちに下山の時間をむかえてしまいました.

合宿はまだ続き,三日目は積雪のために当初予定していたルートを変更して涸沢に向かったのですが,こちらもやはりなんというか...すごかった.どうやって言葉で表すべきなんでしょうか.

涸沢は氷河の侵食作用によって生じたカールという地形をしているのですが,今にも僕を飲み込まんとするような,そういった迫力がありました.二日目の時点で「写真に収めるのは無理だ」という結論に至ったのでこちらは写真を数枚取る程度におさめてあとは場の空気感を楽しむことに専念しました.それでもやはり下山するのは惜しまれましたが...

合宿を終えてからは大会の練習を積んだりとか後輩ができたりとかいくつかの大会で優勝したりとか二年連続でインターハイに出場しているのに僕の代では出場できなかったりとか色々ありましたが,一年生のときの合宿と比較すればまあどれも些末なもの3です.二年生のときの合宿もやはり感動があったのですが,流石にくどいのでここで述べるのはやめておきます.

高校を卒業して大体二年半とちょっとを過ぎますが,まだ僕は日帰りで行ける山を中心に登り続けています.先日はこの記事の冒頭でも述べたように山岳部の通常山行にOBとして参加し,武奈ヶ岳に登りに行きました.山岳部で活動していた中で山に登るときのしんどさというものは消えましたが,やはり未だに山に登るのは疲れますし足が痛くなります.それでも登ることだけを考えて歩き続ければペースが多少遅かろうがいずれは山頂に着きますし家に帰れます.まあ時には引き返す勇気も必要ですが.

合宿のときの記憶は未だに鮮明に残っており,今でもあの日と同じ空気感をもう一度味わいたいと思っています4.僕の家から日帰りで行けるような山では合宿のときのような感動はありませんが,一旦登山のしんどさが消えてしまえば身の回りのことから一旦距離を取って山の中に身をおくだけでもなんだか楽しく感じます.だから僕は山に登り続けるのでしょう.

いつも技術系の記事を書いているのでどうしても気持ち悪く微妙な文章になってしまいました.まあ初めての試みなので大目に見てやってください.友人の言葉を借りてこの記事の締めとしたいと思います.

"なぜ山に登るのか?"は実際に山に登った人だけの特権ですよ


  1. 標高の高い山を意図して「高山」でググったら岐阜県高山市という飛騨山脈付近の市町村が出てきたので地名ではないことを明示するためにわざわざ「標高の高い山」という表現にしました

  2. 徳沢キャンプ場から長堀山を経由して蝶ヶ岳に至るルートでの当時の記録による大体の数値.地形図に糸を乗せながら測った記憶があるが正直なところ今となっては自信がない

  3. 山岳部では伝統的に毎年春と秋の大会に出場することになっていました.別に大会に出たいわけではなかったのですが,大会では1チームを4人で組まなければいけない一方で僕の代の部員は5人しかおらず,しかも1人が兼部していて大会の練習ができる状況ではなかったので残った4人で仕方なく大会に出ることになったわけです.他の3人も大会出場に否定的だったのになんでいくつかの大会で優勝できたのか今でも分かりません.最後の大会が終わったときは喜びさえしました.まあでも優勝して全校集会で表彰されるのは悪いものではありませんでした

  4. 卒業後も僕を含めた同期の5人で毎年夏山の計画を立てるのですが,大学浪人してたり予定日に台風が接近したりCOVID-19が蔓延しだしたりで毎回なかったことになってなかなかうまくいきません